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zoom RSS 分割版・ドラえもん10年10月22日感想(子犬イチの国〜キズナ編〜)1/2

<<   作成日時 : 2010/10/23 20:00   >>

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※こちらの記事は「子犬イチの国〜キズナ編〜」の感想を二つに分割したものです。内容は既に公開済みの記事と同一ですのでご注意ください。

分割なしの記事は→こちら

子犬を拾ったのび太は、イチと名づけ、ドラの協力のもと、庭でこっそり飼いはじめる。しかし別れのときがやってきて……

2004年公開の映画「のび太のワンニャン時空伝」の元になった原作、「のら犬『イチ』の国」を、改めて二週連続の前後編でテレビアニメ化した今回。まだ前編のみの放送ですが、良くも悪くも「ワンニャン時空伝」の影響が大きいようにも感じられます。


子犬イチの国〜キズナ編〜 ※前編
  →てんコミ22巻ほか「のら犬『イチ』の国」


※以下は、前編のみを視聴した段階での感想であることをご了承ください。


とにかく後編の放送が終わっていないので、あれこれ述べるには早すぎるのかもしれませんが…… それでも、既にいろんなことを考えてしまうお話でした。語りたくなる、考察したくなる系統の話というか。

「いや、そのりくつはおかしい」という自覚はありますので、こんな風に考えた人間も居るんだね、程度に流していただければ幸いです。

ネタばれとなりますので、原作や映画「ワンニャン」未見、後編放送待ちの方はご注意ください。



 ◇


・無茶であり矛盾した行動について

そもそもこの話は原作の時点で、多くの無茶や矛盾の上にあるのではないかと思います。
今回のアニメ化では特にそのあたりの是正はせず、むしろそうした無茶をさらに重ねていたように感じられました。
それについては「ちょっとこれはどうか…」と考える方もいらっしゃると思いますが、個人的には悪くはなかったのではないかという印象です。

突き詰めれば、子どもの無茶苦茶で、人間の勝手。
そういうことになると思います。

無茶ですよね。小学生が、親の了承なく、動物をこっそり飼い続けられるはずがありません。
えさ代も事欠きます。飼う場所もないです。
ドラえもんの道具というイレギュラーな手段でそれらの問題はクリアしたかに見えましたが、本質的な解決にはなっていません。ペット禁止の家で動物を飼おうとすること、いずれ発見されることが予見されていること、その時点で既に無茶なのです。

過去の世界に連れて行こうという発想もおかしいです。
ハンバーグ製造機(あえてこう書く)を置いて、一匹進化させればどうにか暮らしていけるという考えは支離滅裂です。地球生物の歴史に与える影響もはかりしれません。動物を捨てることを批判しながら、結局自分たちも同様であることも確かです。

それらは話の構成の甘さ…とする見方も間違いではないでしょう。

しかし個人的には今回のアニメを見て、そうした無茶苦茶具合、行動の幼さが逆にイチを可愛がるのび太の気持ち、それが本物であること、純粋であることを引き立てるのではないかなと感じました。やることが無茶苦茶の方が本気だと思えるという印象です。
冷静になれば、諦めざるを得ないんだけど、諦められないから無茶をするんだ、というところでしょうか。後先考えられるほどの頭がないからこそ、算段抜きで、大切に思うことができるとか、そんな印象を受けました。

もう少しのび太とイチの交流の場面があれば、より確かめられたのかもしれませんが……
あるいは、わざとらしく具体的にココ!という場面を設けずに語るための手法なのか。

そんなこんなで、無茶や矛盾といったものは、存在した方がのび太の思い入れを増して感じられる気がしました。

しかしその一方で残念な点もあります。


・のび太の主体性

上で述べたように、無茶であるほど想いを確かめられる部分もあるのですが、それにしては、ちょっとのび太の主体性が薄かったような感じもしました。

ドラの説得にしても「そこをなんとか!」のあとが
「お前(イチ)も頼むんだよ」だったり、
のび太の財布(共用財布?)を取り出すのがドラだったり、
「山奥へでも」
「人間のまだ居ない遠い昔へ」
「ちょっとのぞきに行く?」
という次の行動へ踏み出すきっかけがすべてドラの言葉によるものだったことが惜しいようにも思えます。

もちろん、ネコを飼うことを許可したり、山に置いて行くことを拒否したり、イチが記憶を失う可能性を知った上で、進化退化ビームの使用を頼んだりという重要な決断も下しているのですが。
どことなく、ドラが主導権を握っていた場面が多かったような気がします。
数年後に地殻変動が起こる時代へ置いてきてしまうなんて何やってるの!と、のび太ではなくドラを責めてしまいたくなるような印象があります。
ドラに連れられて行動しているようであるけれど、あくまでイチの飼い主はのび太であるはずなのです。

後編で予定されている再会を深いものにするためにも、もっと前編でのび太が主体となって動くところが見たかったかもしれません。
映画との直接比較は適切ではないかもしれませんが、「ワンニャン」ではのび太が明確に「約束」をしていることが、物語の核になっていたのではないかなあという気がしました。


・忘れることと再会の意味

今回のアニメ化で気がかりなのは、イチがのび太のことを忘れるという展開と、後編で再会させる予定らしい点です。
それ自体は原作からのアレンジとしてはありなのですが、なぜ「ワンニャン」と重ねてしまったのか……

前述の通り、イチ達を過去の世界へ連れて行くということは、タイムマシン等の手法が特殊であれど、結局は捨てていることになります。乱暴な物言いだとは承知していますが、はじめからそうした矛盾を持つ物語なのだと解釈しています。

さてそこで問題になるのは、過去の世界で別れた(残された)イチの感情(?)

「ワンニャン」では矛盾も含んでいますが、「明日また来る」予定だったものが、事故による「一千年後の再会」になっているのが、うまい構成だったのだなと感じさせます。本来再会し得ないはずのふたりが、再会できるための設定も用意されていました。

原作ではもっと突き離した方向で、イヌネコの国の高度な文明は、もう誰も居なくなった放棄された都市が示すのみ。の「び太が出会うのはイチではなくその子孫。のび太どころか、先祖であるイチのことも伝え聞くのみで、地球を離れ住むことも、淡々と事実のみを告げます。

それでも、イチたちの想いは、「神様の像」で語られています。その存在がなんなのかという解釈は読者に委ね、のび太たちは場合によっては像の全景を知らないままの可能性すらあります。

なんといっても、のび太が置いてきたことには変わりなくて、その別れはもう埋められないのだという事実を避けずに、時の隔たりで示していたようにも感じられました。


原作、そして「ワンニャン」それぞれの料理の仕方に、なるほどなと考えさせられる部分がありました。
それに対し今回のアニメ化ではどうなるのでしょうか。
別れからわずか「数年後」に「本人」に再会させるのどんな意味を持つのでしょうか。
それもそんな時代へ連れて行った当人たちが、「この国には滅亡が迫っているから」と避難を呼びかける(らしい)というのも、非常に難しいものがある気がします。

のび太のことを忘れてしまった、思い出してもらえるか、「再会」できるのかというのは、観ていてハラハラさせるものがありますし、胸につまる感動的な展開になるでしょう。
ですが、その「忘れる」ということで、突き当たるべき複雑な問題を避けようとしているのだとしたら、ちょっとどうかなあという感じがあります。手法が「ワンニャン」に似ているからこそ、違いが目立つというか、損しているというか。

映画とも原作とも違うアプローチもあったんじゃないかな、と感じる一方で、ここまで来てしまったのなら、後編でどう転がすのか、大いに期待と、不安を持ちつつ、ワクワクソワソワして待とうかなと思います。


結論。

前後編なんてだいっきらいだぁぁぁっ!
後編が気になって仕方がないじゃないかぁっ!?



 ◇

※個別の場面についてはキズナ編感想その2へ続きます。
http://green-leaves.at.webry.info/201010/article_16.html

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