世にも奇妙な物語「未来ドロボウ」感想

少年老い易く学成り難し。
かなり原作に偏ったうえ、否定的な感想になってしまいましたので、その旨ご了承の上ご覧ください。


さて、10月18日放映の「世にも奇妙な物語」で
F先生の「未来ドロボウ」がドラマ化されていましたが、
個人的に、話のテーマだと思っていた部分が無くなっていたのが残念でした。


この話で一番伝えたいことは
「若いということはすばらしすぎるんだ」
ということです。
それは間違いないでしょうし、
今回のドラマでも語られていました。

でも、老人と若者がそれぞれ、
この結論に至る前に、
どんな生活をし、どんな想いを積み重ねていたのか。
そこが描かれなければ、
その「すばらしさ」も伝わりきらないと思うのです。


私は原作のこの話に深みを与えているのは、
屋敷を訪れた少年(学)に老人が語りかけるこの部分だと考えます。

学問一筋の人生だったよ。
わき目もふらず……、
春も夏も秋も冬も、気づかぬうちに通りすぎていった。
地位と名誉と財産を手に入れた。
しかし……、

それと引きかえに……、
なにかだいじなものを……
非常に貴重ななにかを落としてきたような……。

(藤子・F・不二雄.「藤子・F・不二雄大全集 少年SF短編1」より「未来ドロボウ」.小学館..2010年.p133-134. )


原作の老人が少年と入れ替わりたいと思った理由というのは
若いうちにしかできなかったこと、見れなかったものを
省みずに過ごしてしまったことへの後悔でした。

この語りを無くしては、
「死に際して若さを取り戻したがっている金持ちの老人」
というだけのようになってしまいます。

いや、結局は老人の勝手であり暴走には違いないかもしれません。
しかし、彼の想いを一概に切り捨てることができるでしょうか?
特に年齢を重ねた読者には。

そして、
「学問一筋に、春夏秋冬を通り過ぎていった」のは、
かつての老人であると同時に、
少年(学)でもあるのです。


原作の学は、高校受験を控え、
女友達には素っ気無く、友人からの野球の誘いはむげに断り、
仲の良かった犬でさえも追い払い、
人生の成功だけを至上とし、
勉強ただ一筋に生活していることが描かれています。

だから、少年は老人と全く同じ道を歩もうとしていたのです。
そんな二人の身体が入れ替わること、
それこそがこの話のキモだったんじゃないかなと思っていますので、
老人が想いを語る部分と、
現在の少年が重なる設定が無くなっていたことがとても残念でした。


 ◇

ドラマ版で中学生の少年が大学生の青年になっていること、
それ自体は構わないです。

けれども、
就職の失敗や恋人に振られたことに若干の自業自得感が漂っていることと、
終盤になってもまだ「人生には何の価値も無いんだよ!」と叫んでいたこと、
それらが「若さの素晴らしさや可能性」を謳うラストを薄めてしまっている気がしてなりません。

例えば直輝(大学生)の生活では、
「何もかも上手くいかない様子」という結果だけをいきなり見せるのではなくて、
それまでいかに可能性をつぶしていたのか、
何が見えなくなっていたのか。
そうした過程をもっと描いて欲しかったと思います。
老人が入れ替わった後の逆転劇をドラマの目玉にしてしまっているような印象を受けました。

そして直輝が若かろうと老いていようと、
いずれにせよ人生に絶望していた、というオリジナル要素を入れるのであれば、
最後に希望を見出すべきではなかったのかと思います。
老人(國正)と直接対話をさせるというアレンジであれば、
彼によって直輝の心が救われなければならないでしょう。
抱きしめただけで、何かが伝わっているとは思えません。
そんな状態で直輝に身体を返して、
本当に「一日一日をたいせつに生きていってくれる」と
國正は信じられるものなのでしょうか。
安らかに死を迎えゆくことができるのでしょうか。

そのセリフ回しが「原作どおり」なだけに、
その言葉が出てくるに至る過程や想いがどうしても感じられずに、
不自然に浮いてしまっているような気がしました。

 ◇

そもそも、若さの素晴らしさという伝える言葉は同じでも、
物語の中で表される意味が違っているようです。

ドラマ版は言葉が悪いですが、
「ちょっと失敗した時にヤケッパチになって、
まだまだ若さの可能性があることを判っていない愚か者に悟らせる」
という目線、
原作は、前述のように少年=老人であることから、
「若さのかけがえの無さを知らずに日々を費やすことの恐ろしさを伝える」
というように、発端というか次元が異なっているように思えます。

だから、ドラマの直輝はひたすら「判ってない若者」として描かれているのですよね。
そんな「判っていない若者」が、老人との入れ替わりをきっかけに、
自らの過ちに気づき、成長する(していない気がしますが…)という、
そういう物語へのアレンジや落としどころ自体は、
視聴者にもわかりやすく、悪くないと思います。

 ◇

結局、個人の好みの問題なのだと、理解しています。
より身近な就職活動とか恋人との関係に置き換えてみるとか、
ドラマとして画面が映えるように二人を対話させてみるとか、
そういった試みもなるほどなと感じています。

それでも、個人的には、
原作のように、今しかない時間を省みずに突き進むことの怖さの方をテーマにして欲しかったなと思います。
それは私自身がしばらく前まで、
去年のことなのか一昨年のことなのかも思い出せないような時間の過ごし方をしてしまったからでした。

まあ、よくある話です。
でもついつい感情移入してしまうのですよね。
「春も夏も秋も冬も、気づかぬうちに通りすぎていく」
ということがどれほど恐ろしいか、
老人がどれだけの空白を感じているか、
分かったような気になって、
「ああ、駄目だ、止めてほしい」と思うのです。

「ひとつの事だけに打ち込む」ということもすごく危険なのですよ。
それが上手くいかなかったとき、
ぷっつり糸が切れたように倒れこんで動けなくなってしまいます。
だから、原作の学は若さと財産を取り替えようなんて誘いに乗ってしまうわけですね。
そういう意味でも父親の失業による進学断念というのは
彼の過失無く未来が閉ざされる状況ということで、
説得力があるなと思いました。

 ◇

そんなこんなで、
結局のところ個人的思い入れの問題なのですが、
違う路線で行くにしても、
「一日一日をたいせつに生きていってくれる」に
納得のいくようなラストにしてほしかったなあと思います。

ドラマのそのほかについては、
神木さんや吉田さんは入れ替わりの変化が難しい役でしたが、
とても熱い良い演技をされていました。
執事の人もいいキャラでしたけど、
やっぱり目立ってしまって老人の想いを削いでいたように思えます。
食事に対する変化は原作より実感が伴っていて、
特に「ごちそうさんも言えないのか!」と叱られるのが良い演出でした。
ガールフレンドのあの女の子はただ調子が良いだけに見えてしまったので、
元の直輝がいかに魅力を感じられない人間だったかを描いた方が、納得がいったかもしれません。


ということで、
今もまだ時を消費している最中かもしれませんが、
折に触れてこの話を思い出しつつ、
季節の移り変わりを感じられるように生活していきたいです。

「ドラマの感想」からはかなり離れてしまいましたが、
自分はこの「未来ドロボウ」という話が好きなんだなと、
改めて感じる機会となりました。

この記事へのコメント

春巻き(管理人)
2019年07月26日 23:43
こんにちは。
コメントありがとうございます。

>消費に走ってしまいます
本当にそうですね。
できるうちにできることを、と思っても、
なかなか忙しくて思うようにならなかったり、
思い切って出かけたり遊んだりしてみても、
今度は本当にこれで良かったのかと考えてしまったり。

「一日一日を大切に生きる」
ということを改めて思い出しました。
2019年07月25日 19:21
目の前の時間を、若さを大切にって難しいですね。どうしても消費に走ってしまいます

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